アメリカに今も息づくチェロキー族の暮らしと歴史:ノースカロライナ居留地を訪ねて

※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。 皆さんこんにちはYokoです!! アメリカと聞くと、自由の国・白人文化のイメージが強いかもしれません。 しかし、もともとこの地に暮らしていたのはネイティブアメリカン、いわゆる「先住民」の人々です。 今回は、私が実際に訪れたノースカロライナ州のチェロキー族の居留地での体験をもとに、彼らの歴史、文化、そして現代の暮らしについてご紹介します。 ■目次■(タップで見出しにジャンプ) 1.チェロキー族とは?先住民の誇りと歴史 2.苦難の道「涙の道」-強制移住の悲劇 3.現代に生きるチェロキー族のリアルな日常 4.チェロキー族の人口と居住エリア 5.文化・言語の継承と変化 6.居留地で見たチェロキー式の葬儀 7.過去と向き合いながら生きるチェロキー族 1.チェロキー族とは?先住民の誇りの歴史 チェロキー族(Cherokee)は、アメリカ先住民の中でも五大文明部族(Five Civilized Tribes)のひとつに数えられます。 もともとは現在のアメリカ南東部—ジョージア州、テネシー州、ノースカロライナ州などの地域に広く分布しており、独自の文化・言語・社会制度を持って生活していました。 18世紀にはイギリスやアメリカ政府と戦争を繰り広げたものの、その後は白人文化を積極的に取り入れ、読み書き、農業、キリスト教などを受け入れながら共存を模索していきました。 そのため混血も多く生まれ、 チェロキー族ではありませんがタレントのカイヤさんの母親はスー 族のネイティブアメリカンです。 2.苦難の道「涙の道」-強制移住の悲劇 チェロキー族の歴史には、決して忘れてはならない悲劇が刻まれています。それが「涙の道(Trail of Tears)」です。 1830年、アメリカ合衆国政府はインディアン移住法を制定。 これにより、チェロキー族は先祖代々の土地から強制的に追い出され、遠くオクラホマ州のインディアン準州へと移動させられました。 1838年、その移動が始まりました。 兵士に銃を突きつけられたチェロキーの人々は、家財道具をほとんど持てず、徒歩や簡素な馬車で約1,000マイルもの道のりを旅することに。 飢え、寒さ、病気によって推定で4,000人以上が命を落としたと言われています。 この出来事は、アメリカ...