アメリカに今も息づくチェロキー族の暮らしと歴史:ノースカロライナ居留地を訪ねて
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アメリカと聞くと、自由の国・白人文化のイメージが強いかもしれません。
しかし、もともとこの地に暮らしていたのはネイティブアメリカン、いわゆる「先住民」の人々です。
今回は、私が実際に訪れたノースカロライナ州のチェロキー族の居留地での体験をもとに、彼らの歴史、文化、そして現代の暮らしについてご紹介します。
1.チェロキー族とは?先住民の誇りの歴史
チェロキー族(Cherokee)は、アメリカ先住民の中でも五大文明部族(Five Civilized Tribes)のひとつに数えられます。
もともとは現在のアメリカ南東部—ジョージア州、テネシー州、ノースカロライナ州などの地域に広く分布しており、独自の文化・言語・社会制度を持って生活していました。
18世紀にはイギリスやアメリカ政府と戦争を繰り広げたものの、その後は白人文化を積極的に取り入れ、読み書き、農業、キリスト教などを受け入れながら共存を模索していきました。
2.苦難の道「涙の道」-強制移住の悲劇
1830年、アメリカ合衆国政府はインディアン移住法を制定。
これにより、チェロキー族は先祖代々の土地から強制的に追い出され、遠くオクラホマ州のインディアン準州へと移動させられました。
3.現代に生きるチェロキー族のリアルな日常
見た目の住宅は一般的なアメリカの住宅と大差ありません。ただ、川沿いには古い造りの家屋も多く残っており、自然との共生が感じられる地域でした。
道路標識には英語とともにチェロキー語が併記されており、この地が先住民の誇りと文化を守り続けていることを物語っています。
また、この地域にはカジノを併設した大きなリゾート施設があり、それが居留地の経済を支えています。
4.チェロキー族の人口と居住エリア
その他、私が訪れたノースカロライナ州には約3,000人のチェロキー族が居住しており、西海岸にも少数ながら存在します。
都市部で暮らす人もいれば、居留地内で伝統文化を守りながら生活している人もいます。
5.文化・言語の継承と変化
こんにちは=「オシヨ」
ありがとう=「ワド」
文字体系も独自の「音節文字」を使っており、英語とはまったく異なる記述法を持っています。
ただし、日常会話においては英語が主流で、若年層の多くはチェロキー語を話すことができないのが現状です。
私が出会った方の中には、英語・スペイン語・チェロキー語を話せるトリリンガルの方もいましたが、これは比較的珍しいケースとのことです。
6.居留地で見たチェロキー式の葬儀
今回の旅の目的でもあった葬儀では、英語で進行された後、最後のスピーチだけはチェロキー語で行われていました。
亡くなった方の遺体は棺に納められ、山の頂上まで男性8人で運び、家族の眠る場所の隣に土葬されました。
都会では見られない、自然とともに生きる彼らならではのスタイルに深い感動を覚えました。
かつて過酷な歴史を歩まされ、迫害や差別を受けてきたチェロキー族。しかし、現代では文化の継承と経済的な自立を目指し、確かな歩みを進めています。
もちろん、貧困やアルコール依存などの社会課題も抱えていますが、以前のような武力による争いはなく、静かに、そして誇り高く生きる姿が印象的でした。
私たちが知っている「アメリカ」はほんの一部にすぎません。
チェロキー族をはじめとするネイティブアメリカンの存在と歴史にもっと目を向けることで、より多様で豊かなアメリカ像が見えてくるのではないでしょうか。
【参考文献】
- Wikipedia「チェロキー族」
- Wikipedia「涙の道」
- Urban Dictionary “Per Cap”
- https://japanswlife.com/ネイティブアメリカンと依存症/
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